定年前の会社員がジェイソン亜流で全力投資

厚切りジェイソンの投資方法をベンチマークとして、定年までもう少しの会社員が貯金ほぼ全額を投資しています。

バブル世代はなぜ投資を嫌うのか?

自分は俗に言う「バブル世代」にあたります。

一般に「バブル世代」とは「バブルでおいしい思いをし、その楽しい思い出が忘れられない世代」みたいな言われ方をされています。

全然違いますよ。

むしろその反対。「バブルとその崩壊を目の当たりにし、こんなことは二度と起きてほしくないと誓った世代」という表現が近いです。

だからこそ、バブル後、日本は給料も物価も上がらないという時代が続きましたが、それは主にバブル世代が「それでいい。バブルよりはずっとまし」と思ったからです。

投資に関しても同様です。

バブル世代は、銀行や証券会社がバブル時にどれだけひどいことをしたか知っています。

そして今でもその体質は変わっていないと思っています。

自分個人に関しては、厚切りジェイソンの著書から、米国株式インデックス+ネット証券会社の優位性に気付いて投資を始めましたが、それを友人に話したときの反応はひどいもんでした。

「お前大丈夫か?」

「誰かに騙されていないか?」

「金に困ってるのか?」

どれも違う!

論理的に投資の優位性を説いても、感情が先行して聞いてくれません。

10人以上に話しましたが、投資を始めた友人は一人もいません。

でもまあ無理もないかな、とも思います。

たとえばNISA。

NISAやりたいと思って銀行や証券会社に行っても、自分の推奨する楽天全米株式やeMAXIS slim S&P500は絶対に買えない。
それは投資家が儲かって、銀行や証券会社は儲からない商品だからという、身勝手な理由からです。

そしてこの状態を金融庁は知っていて、おそらく、できれば世間には知られたくないと思っている。

理由は、ネットを使えない弱者にもNISAをやってもらいたいし、そのためには銀行、証券会社にもうまみをやらないといけないから。

つまり、投資家保護の観点じゃないんです。

昔から相変わらずの、金融業界も消費者もという、あいまいなスタンス。

自分の友人なら「そら見たことか!油断すると騙されるなんて世界に、そもそも近づきたくない」と言うでしょうね。

 

来年から始まるというNISA拡大。

自分にとっては大変ありがたい制度改定ですが、本来の目的、投資家の裾野拡大は、銀行・証券会社の体質が変わらないかぎり、あまり効果ないでしょうね。

それができるのは金融庁あるいは財務省ですが、やる気があるようには見えません。

 

 

ところで、自分の世代が忌み嫌うバブルとは何だったのか?

例として、自分が体験したことをお話ししたいと思います。

 

1990年代初めの話です。

自分は、就職と同時に上京して3年目くらいでした。

ある朝、新聞を広げると1面トップに「A信用金庫のB町支店が巨額不正融資」という見出しが目に飛び込んできました。

この「B町」とは、自分の生まれ故郷です。

しかも、この日だけの新聞の見出しにとどまらず、地元紙では特集が組まれるほど連日でB町支店という名前が取り上げられました。

つまり、自分の生まれ故郷はバブルの大舞台になっていたのです。

あまりの騒ぎに、自分は休みの日に田舎に帰って「A信用金庫のB町支店」を見に行きました。

行ってみて驚いたことに「A信用金庫のB町支店」は、自分の通っていた小学校のすぐそばにありました。

自分の記憶にはありません。

実家の母に聞いてみると、ちょうど自分が就職して上京した直後にできたそうです。

そして新しい土地で実績を上げるために無理をした、と聞きました。

B町は昔から商売の栄枯盛衰が激しい町なので、自分は「こんなことして、この支店はすぐに潰れるな」と思いました。

 

それから5年後のことです。

潰れたのはB町支店ではなく、なんと自分の通ったすぐ近くの小学校でした。廃校です。

なぜこんな理不尽なことが起こったのか。

事の経緯はこうです。

まずA信用金庫のB町支店。

巨額不正融資は、当時のB町支店のC課長が一存でやったこと。A信用金庫自体が悪いわけではない。そういう理屈が通ってしまったのです。

C課長は懲役10年。それで終わりです。

3000億と言われた不正融資が一課長のみで実行できるとは、とても思えませんが、大人の決着というやつなのでしょう。

次に小学校。

この事件が発覚する前、まさにこの不正融資を利用して、B町では地上げが横行していました。

お金で釣って、住民に出て行ってもらったんです。

バブル崩壊後、地上げは止まりましたが住民は戻ってきません。

バブルの舞台で有名な町に、わざわざ移住したいと思う人はいませんでした。

すると小学校に通う子供も当然いなくなり、最後は全校生徒7人だったそうです。

全国でも指折りの歴史を持つ小学校でしたが、創立120周年には届きませんでした。

 

それから約30年。

B町支店は信用金庫の名前こそ変わりましたが、なんと今もあります。

小学校は高層ビルになり、跡形もありません。

自分の母は今も実家に住んでおり、元気です。

母からB町支店や小学校の話は出ません。ずっとB町に住んでいる身になってみれば、そんな小さいことをいつまでも気にしてたら住んでられない、という感じだと思います。

自分だけが、B町支店を見るたびに何か引っかかるものを感じています。

(プライバシー保護のため、一部の名称や数値を脚色しています)